FIRE暮らしの独り言

アーリーリタイア済み個人投機家の備忘録

その「心配」は相手の負担になっていないか

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誰かを心配する心というのは非常に尊いものだと思いますが、
何であれ「行き過ぎ」は禁物であり、それは心配するという
ことにおいても同じなのでは無いかと思います。

心配することは悪いことでは無いですし
心配されることは有り難いことではあるかと思います。
例えば我が子や親族に関しては心配が尽きず、
生まれてから死ぬまで心配しっ放しかもしれません。

気持ちは痛いほどわかりますが、貴方が心配ですと口に出して
相手に伝える行為は、相手の負担になりかねません。
少なからず相手はきっと「貴方に心配させてしまった」という
罪悪感にも似た感情を抱くことになる可能性があります。

そういった感情というのは、結構マイナスに響くもので
心配されるということは、自分は何かいけないことをしているのでは?
間違っているのでは?と相手を狂わせてしまうこともあります。
何もいけなく無いし、間違っていないのにも関わらずです。

子供たちが親に反抗的になる原因の一つが、「心配し過ぎ」なのではと
自分は思っています。まあ親と子供だけの関係以外でもありますかね。
本人が「大丈夫」と言っているのであれば、それはもう「大丈夫」なので
そこに心配を被せることは相手を信頼していないと捉えられてしまうことも
あり、この溝が反抗として現れたって仕方ないですよね。

どうしても心配だと言うことを伝えたい場合は、
まずは何故心配なのか自分と向き合って答えを出した上で、相手を
心配すると同時に、どうして心配なのか自分の感情も伝えるべきだと思います。

ただただ心配することは、プレッシャーにしかなりません。
本当に相手のことを想うのであれば、相手に対しての配慮は全力でやるべきです。
スナック感覚での心配にならないよう、気をつけたいですね。